悲願花 上
全ての始まりの物語。改造された五振りの魂。振るわれるまま彼らは次元を超える旅に向かう。
分かっている、分かっている。
こんな事をしてもどうにもならないと、分かっている。
でも、壊さずにはいられなかった。
壊れてしまいそうな心が、魂が、泣きながら【彼】を壊した。
それが、俺の……罪だ。
布に隠れた透き通るような金色の髪、わざと汚してはいるが隠しきれない整った顔。
そして何より。
宝石の様に美しい碧い目がとても印象的だと、堀川国広は思った。
仲間を増やしながら、歴史修正者との戦いに勤しんでいた一部隊。
今回のボスには少々手こずったが、重傷者は出ていないと部隊長を務めていた山姥切国広は被った布の内側で安堵の表情をかすかに浮かべていた。
一番始めに審神者なるものの元へ配属されていたためと、近侍であるためか、彼が部隊長を務める機会は多い。本人はあまり乗り気ではないのだが、主の命令であれば従うまでらしい。
エリアを支配するものを破壊すると、希に仲間を救出する事がある。そう、審神者なるものから聞かされていた彼らはあたりを見渡し、それを探し始める。大体は破壊した遡行軍の傍に落ちている事が多い。隊長である山姥切国広が、知らぬ刀達にも伝える事実。
今回も可能性があると、散らばった破壊された様々な色に輝く鋼の欠片の傍をしらみつぶしに探し始める。
真っ先に見つけたのは闇夜に輝くような銀の髪に紅い眼が印象的な童子、今剣だった。幼い少年の姿をした彼は軽やかに高下駄のまま見つけたそれへと駆け寄っていく。
「あたらしいおなかま、みつけました」
そのお仲間は、蜘蛛のような足を持った脇差特性の遡行軍の死体の中に埋もれていた。数体の中に、まるで隠されていたように埋もれていた刀剣。鞘もなく、刃だけがその場にころりと輝いていた。柄もないのは珍しい。
それをそっと両手で拾い上げる今剣。彼は慣れた様子で拾う両手に霊力を込める。すると刃はふわりと宙に浮き、今剣の手を切り裂くことなく霊力によって護られる。
「たいちょうさん、みつけましたよ!このこです!」
ふわり、ふわりとまるで重力など関係ないように地面を跳ねる少年は、白い布を頭から被った青年の元へと駆け寄っていく。彼の見つけたという声を聞いた他の面々は、探す必要がなくなったと捜索を止めて隊長の所へ自然に集まっていった。
「そうか。それは……大きさ的には脇差……か」
目下に差し出された刀身を見て、山姥切国広はぽつりと呟く。呟いて彼は目を見開く。
「どうしました?」
見上げる今剣からは、布で覆われた山姥切の表情がよく見える。とても、とても驚いていた。翡翠に近い碧い目が、涙で潤んだようにキラキラと輝いている。日の光を布で遮断しているのにも関わらず。
「……いや、なんでも」
そっと目を閉じ、彼は首を横に振る。今剣は紅い目を不思議そうに何度かぱちくりさせて、首を傾げる。何かこの拾った新しい仲間に何かがあるのだろうかと、考えた童子は思いつく。
「あっ、もしかして、このこはたいちょうさんのよくしるこなのでしょうか?」
兄弟であれば、刀身だけでもそれが誰なのかが分かると、以前粟田口の短刀達から聞いたことがあった。
「えっ、ああ……まぁ」
どこかぎこちなく頷く青年。今剣の鋭い発言に少々狼狽している様子だった。
「なら、このこはたいちょうさんがもっててっください。けんげんさせるにはほんじんのあるじさまのところまでいかなければなりませんし」
彼なりの、兄弟を持っている刀への配慮なのだろう。今剣は小さな腕を伸ばして、山姥切の手元へと差し出す。
差し出された山姥切は、思わず後退りをしそうになってしまう。
「あ、いや、俺は……」
持たなくてもいい、そう言いたかったのだろうが。今剣の早さには敵わず、刀を包む霊力が山姥切の手に触れてしまう。
触れると、その場所を起点にして桃色の桜吹雪が舞い上がる。
「しまっ……!」
碧い眼が、桜吹雪に同調するように文字通り光り輝き霊力を放つ。その霊力は刀を包むような桜の花弁の竜巻を作りだし、宙に風を起こす。
「え……?」
童子は信じられないものを見る眼差しで、その様子を見上げる。だって、それは、その現象は。
「……なんで、顕現が……!」
それは集まってきていた、小夜左文字、鳴狐、にっかり青江、燭台切光忠も同様に驚きを隠せなかった。
「僕らを顕現させるには……主の力が必要、じゃ……?」
しかし今ここに主はいない。
だが、彼らの目の前で顕現は起こっている。
ありえないはずの現象。しかし、山姥切国広だけはその現象の意味を知っていたのだろう。半ば諦めたように息をつくと、顕現を見守った。ひらひらと頭から被った布を抑え飛ばされないようにしながら。
そして、竜巻のような桜吹雪は内側の生成が終了すると同事に解かれる。
ふわり満開の桜が咲いた木が弾けるように、花弁が霧散するとその内側から一人の少年の姿が浮かび上がる。舞う桜の薄桃色が映える黒い髪、幼いながらも綺麗に整った顔、制服のジャケットとスラックスを纏った洋装の出で立ち。
霊力を纏いながら顕現するその姿は。その姿の名前は。
眼を瞑ったままゆっくりと大地に降り立つと、少年は眼を開く。海の色のような藍の眼が宝石の様にまばゆく煌めいていた。
「……」
降り立った少年を、山姥切国広は真正面で迎えほんの僅か唇が何か言葉を紡ぎたそうに開かれる。だが、それはすぐに閉じられる。
顕現した刀剣男士は彼を見上げながら、ふわりと笑んだ。
「僕は堀川国広です。よろしく」
国広、という名前に山姥切以外の面々は、山姥切に一斉に視線を向ける。兄弟刀である、そう彼らは気付いたのだ。今剣は、ああやっぱりおしりあいなのですね、とにこやかに嬉しそうに笑う。
山姥切は、よろしくと笑った堀川の言葉に頷く。
「ああ、よろしく。きょ……堀川」
言いかけた言葉を訂正して、堀川と呼ぶ。堀川は首を傾げるもはい、とにこやかに頷く。
「って、あれ?貴方、主さん……ではないですよね?僕と同じ?」
あと、周りの皆さんもと、集まっている男士達に視線を向けて堀川は僅かに首を傾げる。刀剣男士達には人間とそうではない自分達の波長の違いが分かるのだという。元々備わっているものらしいが、さほど重量視しているものではなかった。人が人とそうではないものを見分けるのと大差ないものだ。
「ええそうでございまする!」
声を上げたのは、鳴狐の肩に乗っているおともの狐だった。腹話術ではない。
「わたくし以外の男士達は皆、貴方様のお仲間でございまする。本来は主様のお力がないと貴方様は顕現できなかったのですが……」
狐は原因が分からないと、首を落とす。
「ぼく、みちゃいました。たぶんきっと、たいちょうさんと堀川国広がおんなじきょうだいだからとくべつなことがおこったんです!」
山姥切が触れた事で、堀川の顕現が始まったことを見ていた童子は自信満々に仁王立ち。山姥切は何故かキラキラと憧れるような眼差しで見上げてくる今剣の視線に思わず被っていた布をひっぱり顔を隠そうとする。今剣は見上げているため無効化にもほどがあるのだが。
「同じ……兄弟?」
堀川は山姥切りの隠れている顔や、出で立ちを見つめる。見てみるも、あまり似ていない様な気がする。気がして、彼は思わず笑みを浮かべる。
「あ、ああ……俺は山姥切国広……。霊刀山姥切の写しだ」
国広。兄弟刀達はその名に兄弟である事実が含まれている。紹介された名前に、堀川は気付く。
「聞いたことがあるよ。その名前。そっか……兄弟、か……」
何処で聞いたのかは思い出せないけれど、名前を聞いて姿を見て確かに兄弟になりえるだろうと堀川は納得する。けれど。
「でも……僕、贋作疑惑もあって本当に堀川の脇差か……分からないんですよね」
堀川の脇差自体は確かに存在するが、彼自身が、逸話を持って顕現したこの刀剣が本当にそうなのかは分かっていない。しかも贋作ではないかとの意見のほうが多い。それを、堀川は無意識のうちに背負っているのだろう。
「ああでも、兼さんの和泉守兼定の相棒ってことだけは確かなんです!ってそうだ、兼さん!兼さんは来てますか?!」
努めて声を明るく彩り、思い出したかのように彼の名前を口にする。彼にある事実は真作であることではない。和泉守兼定と共に、歴史上に残る新撰組副隊長土方歳三の愛刀だったであろうことだけ。
山姥切は懐かしいものを見るようにほんの僅か眼を細めると、淡々と彼の質問に答えた。
「今ここにはいないが、随分早くに顕現している」
今回は早かった。早かったが彼もまた国広はまだなのかだの、同じ国広だけどおまえは可愛くないだの好き放題言ってくれた。流石最年少。
「そうなんですね!よかった。会うのが楽しみです」
久しぶりに会える事に、堀川は頬をほんのり赤く染めて微笑む。山姥切はよかったな、と閉じた口の奧で呟く。そう言えばよかったのだろうが、どうしても躊躇いが生まれてしまう。
迷惑はかけていませんか?服はちゃんと着れていますか?そんな堀川の兼さん質問に淡々と無表情で答えながらも、彼はどこか寂しさを覚えていた。
そして、質問がそろそろ尽きて周りの刀剣達が飽きて解散し始めた頃。
「さて、そろそろ行くぞ。きょ……兄弟」
とりあえず話を切って、山姥切は勇気を出す。その呼び方で彼を呼ぶには少しばかり歩み寄りが必要だった。言った後、彼は被った布の端を掴んで伸ばし、顔を隠して視線もついでに外す。濁った語尾がなんともたどたどしい。
「きょうだい……。で、でも僕は」
本当の国広じゃないかもしれない。その一つの深い事実は消えない。堀川もまた山姥切から視線を逸らし、眼を泳がせる。そんな彼の様子を見ることなく、山姥切はふわり布をひるがえして踵を返す。
「それでも、ここにいる俺達は兄弟だ。……きっと脳天気なもう一人の兄弟なら、写しの俺とは違ってもっと頼もしく笑い飛ばしただろうな」
まだこの本丸に来ていないアイツなら。まだ来ていないのは残念だ、とも彼は付け足す。しかし、堀川は惑うように視線を彷徨わせるばかり。
「……」
喉に骨がひっかかったように言葉を詰まらせる堀川に、山姥切はいつもの様に自嘲気味に笑う。
「やはり、写しの俺なんかが兄弟と……言うのは図々しいか」
すまなかったな、なんてぽつり呟くと彼は白い布を揺らしながら歩き始める。
「えっ、ううん、そうじゃないよ。……ありがとう、僕を兄弟と言ってくれて」
首を横に振って微笑みを浮かべる堀川。彼は彼について行くように歩き始めた。
しかし、ありがとうという割には、山姥切国広の背中を見つめる表情は曇っていくのだった。
*
闇の中、長く続く橋を六振りの男士達が人型の化け物達を切り捨てていく。
三条大橋。
京都にあった、橋の一つ。遡行軍が幕末の歴史を改変しようと躍起になって攻めてきている最中の場所であった。
ここは夜の間にしか時空の扉が開かれず、闇の中で戦える男士達のみでの戦闘となっている。大きな太刀は橋の上では、市街地では狭くて振るえない。行きたいと珍しくやる気になっていた蛍丸もここではあまり戦力にならず、主の命で出陣の許可は一度きり。それ以降は戦力にすることが出来ないと出陣の命令は下りなかった。
星と月と、人が灯す僅かな炎を灯りを頼りに、打刀、脇差、短刀のみで編成された部隊は遡行軍を切り捨てていく。
「ちぃっ、くっそ、何処まで長げえんだよこの橋は!」
物理的には長くないかもしれない。だが、物理的に迫ってくる遡行軍が多すぎる。橋の上で、人骨のような身体を持つ敵を切り捨てながら、長い黒髪の男士、和泉守兼定は悪態をつく。
「和泉守の旦那、ここに来るのは初めてかい?怒鳴り散らしてると先まで体力が持たないぜ」
橋の高欄の上に立つ薬研藤四郎はかすり傷を負いながらも、余裕の笑みを浮かべていた。短刀はその体格のから攻撃できる範囲が非常に狭い。ギリギリまで相手の懐に潜り込み致命傷を与えることで闇の中で抜群の攻撃力を維持している。
脆い身体を守るための集中力に、他の刀は勝てないだろう。だからこそ、薬研は今の状況にすら頼もしく笑うのだ。余裕が無ければ集中など出来ないのだから。
「んなこた、分かってるけどよ……こう数が多いってのは、キツイもんがあるな」
刀は基本的に大群を相手にするように出来てはいない。武器であり、兵器ではない。言葉を発しない蜘蛛のような遡行軍の兵士をまた一体切り捨てる和泉守。この一体が今の一軍の最後。カラカラと音を立てて崩れていく兵士は、地面に落ちた後風に流れる砂のように消えていく。
消えたのを確認すると、和泉守はすぐ傍に落ちている金色の金属で出来た球体だったであろうものを拾い上げる。固定していた紐もほつれ、球体だった部分は半分しか残っていない状態だった。
「くそ、橋も渡り終えてねえってのに、一個ダメにしちまったな」
残りの刀装は一つ。こんなギリギリの戦いを短刀や脇差達が毎日行なっていると思うとぞっとする。特に短刀はこの身を守ることも出来る刀装を一つしか持つことが出来ないのだから。
「そうだね。けど、護りなんてあってもなくても同じだよ、和泉守。……折れるまで戦うのが僕らの本分でしょう?」
砕けた金色の刀装を懐にしまいながら、小夜左文字は和泉守の隣に立つ。本丸の中でも一番幼く小柄な彼だが、短刀の中でも抜きんでた殺傷能力を誇る。そのためかこの幼子が戦いに赴く機会はかなり多い。本人もまたそれを望んでいることもあるのだが。
「まあ、な」
折れるその時まで主に仕える事が出来る、それが道具としての本質が望む悦楽とも呼ぶべきだろう。己の腰ほどもない小夜を見下ろしながら、和泉守は歯の奧をそっと噛んだ。
「兼さん、どうしたの?」
ふわり、闇の中に紛れていた堀川国広がいつもの様に和泉守の隣に辿り着く。脇差である彼の姿は戦いの中いつもどこかに消えている。闇の中だからではない、脇差の本質として彼らは他の刀を影ながら支える役目を持つ。見えないところで、敵を討ち、仲間を助ける。それが彼らの戦い方だ。
「うおっわっ、国広か。いや、なんでもねえよ。それよりこの状況で進むのか?」
見渡せば、一度陣形を整えるために闇に紛れていた刀達が集まってくる。一回の戦闘ごとに一度集まり本陣にいる主の命令に従うのがこの審神者システムの一環である。刀剣男士の性質上、無茶な進軍をしがちだからと政府が決めた事らしい。
集まってくる刀剣達は、皆何処かしらに負傷を負っており、無理な進軍はエリア解放が目的ではないのであれば一度控えるべきではないかと思えるくらいだった。
「何言ってるの兼さん、このくらいの傷なら基本的に進むよ。刀装がなくたって、僕らは戦えるんだから」
主もそれは了承済みであり、作戦の一環だとも堀川は告げる。兼定の背中を軽く二回叩くと、彼はくすりといつもの様な笑みを浮かべもせずに、今の一軍を任されている隊長の下へと向かった。
「んなの、オレだって同じだろ」
和泉守は相棒のどこか自暴自棄にも聞える言葉を諫めるように、少しだけ声を張り上げて告げる。しかし堀川は答えなかった。
「……アイツ、疲れてやがんな」
堀川の性格をよく理解している和泉守は短くため息を吐いた。
ここ数日の連戦にほぼ全て出陣しているのだから無理はないだろう。
「集まったか」
闇の中目立つ白い布を頭から被った青年は、帽子のように深く被った布で瞳を覆い隠しながら進軍している全員の姿を確認する。今この部隊を預かっているのは近侍でもある山姥切国広だった。
「ああ。六振り全員ちゃんと無事だよ」
どこか妖艶な雰囲気を醸し出すにっかり青江はクツクツと笑う。笑いながらも彼は中傷まで追い込まれていた。
「無事、にはあまり見えないのだがな」
長い前髪に隠れた碧い眼が青江の姿を睨む。致命傷まではいかないが、腹部や太もも部分には何本もの切り傷があり衣服に血が滲んでいる。衣服も乱れ破れているようだった。
「ふふふ。敵のやけに早い槍が何度も僕を突いてきて、ね。そんなに僕のなかに入りたくてしょうがなかったのかな?」
物言いが艶めかしいが、彼の素らしく付き合いがそれなりに長くなっている面々は特に気にすることなく槍が原因で怪我をしているのだと理解する。
槍は刀装の護りを貫いて本体自体を直に攻撃してくる特性がある。もちろんこちらも同様なのだが、いかんせん槍はこの闇の夜中では思うように力を振るえない。しかも市街地の中で振るうには長すぎて機動に支障が生まれてしまう。相手方も同条件のはずなのだが、戦ううちにどうにも遡行軍のほうが兵士としての性能が上だと最近判明されてきていた。
「そうか、分かった。それで、弓兵は無事か?」
装備しているのは遠戦用の弓兵と盾兵であった。盾はこの際問題ない、重要なのは弓の方である。
「ああ。この通り二つとも無事だよ」
飾り紐に包まれたそれは少しだけ負傷しているものの、まだまだ内側の兵士達は息をしている状態だった。様子に山姥切は頷くと、他の男士達の状況も把握する。
小夜と薬研は既に装備は剥がされてしまった状態、堀川と青江は刀装こそ無事だが、二人とも怪我を負っている状態。山姥切と和泉守は共に装備を一つ犠牲にした程度で済んでいた。
橋はもうすぐ終着視点。
進撃するかしないかは、主にかかっているが。今ここにいる全員がまだいけると目を光らせていた。彼らの気持ちは一つだろう。
部隊長としての意見を添えて、山姥切は主に現状を報告すべく一旦目を瞑り霊力を高める。
本陣にいる主との会話は、指示は、このように隊長からの霊力によって伝えられている。その霊力を主は何やら機械的なもので察知し、把握しているのだという。
ふわりと、闇夜に舞う桜の花弁。
ひらり、ひらりと二、三枚だけ。
それが橋の上に落ちきると、花弁は消え、山姥切も目を開く。
「主からの結果だ、このまま進撃する」
揃っている全員に告げる山姥切。彼の言葉に誰もが頷いた。だが。
「……だが、無理は禁物だ。そろそろここの時空間も検非違使に把握されつつある。いつあいつらが来るか分からない」
検非違使は同じ時空間に長い時間存在し続けると、異物として排除しに来る、遡行軍とは別の軍勢。それらの能力はこちら側の戦力に合わせ変動し、また上乗せした力でたたみかけてくるやっかいな存在である。
この時空間で新しい戦力を捕縛するために長い時間留まり続けてしまった、代償とも言える。
「確かに。何度目になるんだろうな、ここの遡行軍を攻めるのは」
薬研が橋の向うを見つめながら、苦笑する。短刀としての練度が高い薬研も何度もこの夜の戦いに明け暮れている一振りだった。
「いい加減位見せろってんだよ。なんだっけ来派の祖みたいなやつがここにいるって情報だったか?」
和泉守は主からの命を思い出す。歴史修正は阻止したものの、ここにいるであろう刀剣男士を迎え入れることが今後重要になってくると政府からの命があったのだと彼らは聞いていた。
「ああ。明石国行、と言ったか。姿は特に情報はないが、見たことないヤツならとりあえず連れて帰れば問題ないだろう」
山姥切は細かいことは気にせず、先を行くぞと皆を促す。思慮深そうに見えて彼はなかなか直情的である。橋はもうすぐ終り。歩きながら敵への警戒を怠らないまま、ふと和泉守は山姥切に問いかける。
「つーかさ、お前こんな白い布被ってるくせになんだって闇の中に紛れられるんだよ」
彼はそれが不思議でならなかった。白いなら目立つくせに彼はいつだって視界から消え、いつの間にか真っ先に遡行軍の一体を撃破してしまうのだ。
「別に紛れてはいないぞ」
和泉守の隣を歩く山姥切は何でも無い、当たり前の事のように淡々と答える。おまえは誰だと見知ったものに名前を問われて答えるように。
「俺は所詮写しだからな。霊力で闇に紛れることは出来ない。ただ、敵味方問わず誰の視界にも極力入らないようにして戦っているだけだ」
確かに霊力を用いて飛躍的に身体能力を上げありえない機動力で戦う物や、闇に紛れて戦う物はいる。しかし山姥切曰くそれほどの霊力は写しの自分には宿っていないのだと、以前聞いたことはあった。
「視界に入らないようにって……」
しかし、その方法で戦っているのならば霊力を使っていると言った方が説明が付くのだが、そうでなければどんな集中力だろう。人の身体には限度があるというのに。
「言ったとおりだ。しかし俺の戦い方など……あんたのような名刀には不必要だろう」
打刀の中でも屈指の火力を誇るその刃ならば、霊力を乗せることで純粋に強化している和泉守ならば。
「そりゃあオレはかっこよくて強いけどよ、お前の戦い方だって――――」
すごいもんじゃないか、と感心するような事を言おうとした和泉守だったが、ふと背中の方から聞えた音に驚き耳を疑ってしまう。
「え」
今聞えたのは、舌打ち、だった。
誰のか。分かっているが信じられなくて、彼は振り返る。そこに居るのは堀川国広。いつだって穏やかに明るく、しかし戦いになると熱情を露にする刀剣男士である。だが、こんな風に苛立ちを露にすることは珍しい。うちに秘めるような苛立ちを表に見せる事などは。
「国広、お前……なんか、変だぞ?」
思わず立ち止まる和泉守。山姥切もつられるように足を止める。
「……ううん、なんでもないよ、兼さん」
眉根を寄せて相棒の様子を伺う和泉守に、堀川は出来うる限りの微笑みを乗せて首を横に振ったつもりだった。実際は全く笑えていなかったのだが。なんでもないと言った彼はちらり見える白い布を被った彼の顔を見つけると思わず睨み付けてしまう。一瞬だけ、ほんの一瞬だけ怒りをぶつけるように。
「……」
しかし、山姥切は心配そうな兼定をそのままに、ふわり布をひるがえして歩き始めていく。彼の顔は堀川からはもう伺うことも出来なくなっていた。
「行こう、兼さん」
笑ったつもりの堀川はそう言って、和泉守を促しながら山姥切の後に続いた。
和泉守はそうだな、とそれ以上は問いかけることはせず堀川の後ろを歩く。いつの間にかしんがりが自分だが、陣形については移動中なんの問題もないだろう。
ただ、何か嫌な予感が胸の中をグルグルと回り続けていた。
そうこうしているうちに彼らは橋を渡り終える。終えて気配を探る男士達。
「……何か、よくない気配を感じるね」
青江はぽつりと呟く。
「ああ、オレもなんか……妙な感じがするぜ」
和泉守もそれに続く。
何かがいる。来る。
予感に薬研は短刀を構え、小夜もまた臨戦態勢を整える。
山姥切はと言うと、片耳を抑えて眉を潜めていた。
「……耳……鳴り……?」
ざわざわ、かさかさ?痛いと思う耳鳴りではなく何かが耳の内側で警告しているような、感覚。
確かに敵の気配は感じるが、だが。何か妙だ。
遡行軍とは違う気配?いや、それだけではない何かも感じる。嫌な予感が背筋を泡立たせる。警戒を他の刀剣に任せ、彼は一人その違う気配を辿ろうとする。しかし。
「隊長さんよ、どうやら検非違使さん達がお出迎えのようだぜ」
ぬらり、ぬらりと空間を切り裂き、向う側から乗り出してくる青い光りを微弱に纏った異様な化け物達。彼らが現れたことで空間は切り取られ今まで微弱にあったこの時代の人間の気配も遮断される。家の壁から、虚空からこちら側に介入してくる検非違使。言葉もなく彼らは敵を判断した自分達に視線と殺気を向けてくる。
ピリ、臨戦態勢に入る短刀二振り。青江もまた彼らのサポートをすべく今の状況を認識する。もちろん先制攻撃である弓兵の準備も怠らない。和泉守もまた、投石兵の準備を始める。残り一軍。しかしもう一軍は山姥切も残しているはずだ。お前も準備しろよ、と彼は彼のいるであろう後方を一瞬振り返る。
「……!」
一瞬だけのつもりだった。
だが、目を反らせない出来事が彼の目の前で起こっていた。
遡行兵が持っているであろう昆虫の足のような鋼の刃が、山姥切を貫いていたのだから。
「山姥切?!」
声を荒げる和泉守。おかしい。目の前に現れていた検非違使は間違いなく六体。前方にしかいなかったはず。後方には遡行軍の残党だっていないはずだった。
それに山姥切を貫く敵の姿が全く見えない。彼の背中にすっぽり隠れてしまっているのだから。あの足は遡行軍の脇差型、両腕のない上半身に下半身が蜘蛛のような姿をした化け物のものだった。身体の大きさは刀の方では小柄な方の山姥切から全く見えなくなるなんてことはなかったはずだった。
和泉守が呼んだ声に、思わず他の刀剣達も隊長に一瞬視線を向ける。目に映る見るからに致命傷を負わされている彼の姿。ずっぷりと貫く刃には赤い血がこびり付いている。
しかし、目の前に現れている検非違使にも集中しなければならない。どちらが優先か彼らは一瞬迷うも、すぐに前方に視線を戻した。今は和泉守に任せておくしかない。検非違使相手に油断は禁物だ。あちらに意識を持っていかれては全滅しかねない。
「っ任せたぜ、お前ら!」
敵に迎え撃つ彼らに気付いた和泉守は山姥切の方へと駆け寄る。一体何者が彼を貫いているのか、確かめるべく近づいた彼はその原因が見えた段階で足を止め息を飲んだ。
「……なっ……くに……ひろ……」
ちらり見えた姿は、堀川国広だった。
だが、彼の右腕は変形し節足動物のような足を山姥切を貫いていた。その彼の目は青のままだが、青い目を赤い光が包み込んでしまっている。
「ぐっ……っ……おい、和泉守、何をしている。敵は向うだぞ」
貫かれていた山姥切は、血まみれの相手の足を己の右手で掴み彼を睨む。睨むと威圧感が空気を変える。ふわり霊力が微弱だが舞ったせいだろう。頭部を覆っていた布がはらりと肩へ落ちる。
「けどお前!」
その状況は明らかに異常過ぎる。場合によっては国広と戦わなければならないかもしれないと考えたのだろう、彼は投石兵召還の準備を止め、己の本体に手をかける。
「いい、これは俺……一人、でなんとか……する」
「そんな訳には―――」
「黙れ!いいから手を出すな!俺に任せてあんたは検非違使を潰せ!」
怒気を含んだ碧い眼は暗闇の中ギラギラと輝く。霊力が高まっている証だ。血を唇の端から垂らしながらも、その鋭い眼光に、最年少の刀剣は畏怖を感じて一歩後退りしてしまう。鋭いだけではない、まるで上下左右、何人もの山姥切に睨まれているような錯覚が彼に畏怖を感じさせる。
「……くそっ、国広のこと、頼んだぜ……!」
従わざるを得ない和泉守は変貌を見せる堀川に視線を向けた後、すぐに踵を返して検非違使側に向かう。既に戦闘は開始しており、投石兵召還は無理だろう。そのまま本体を手に闇の中駆けていった。
「……っ、行ったか……っ……兄弟、なんだ、俺に……言いたい事でもありそうだな」
身体を貫く鋼の足を掴み、あえてさらに自分の身体に押し込みながら、一切後ろを振り返ることなく腰を屈めつつ彼は問いかける。
分かっていた。ここ最近の疲れからか、自分に苛立ちの視線を向けていたことは。
比較される事を非常に嫌う山姥切は、誰よりも視線に敏感だった。敏感故その視線が意味する感情すらくみ取ってしまう。もちろん自分向けてだけではなく他人に向けた物も判別できる。能力というよりはただの特性であり癖でしかない代物だが。
「そうだよ……ほんと……イライラするんだよね……」
山姥切の問いかけに堀川は、悪意を隠そうともせずに答える。そう答えた彼の身体は右腕だけではなく背中から蜘蛛の様な足を生やし始めていた。ピキ、ピキと金属にヒビが入るような音が響く。
ひた、ひたと地面に赤い血液が雫を垂らす。
堀川は身体を改変させながら、続ける。
「偽物扱いされようが、君は……本物じゃないか……疑いなんてもたれてない……僕はね、兼さんの相棒であることしかなかったんだ……それなのに……兄弟とか、何なの?真作のくせに、いちいち写しだなんだって言って、なんなんだよ!」
叫ぶ国広の背中にまた一本足が生えていく。まるで彼の苛立ちに、言いようのない怒りに呼応するように。
「……そうか」
言っていることはまとまりのない支離滅裂な単語の塊だった。それだけ理性も怒りに浸食されてしまっているのだろう。意識を手放してしまいそうな痛みを感じながら、山姥切は必死に言葉を紡ぐ。
「悪かった……俺はどうにも自分の事で手一杯なよう……で……兄弟が俺に怒りを覚えていた……なんて、気づけなかった……俺に過ちがあるのなら喜んで受けよう……」
だから、刺されると分かっていたがあえて貫かれたのだと彼は告げる。
「え……」
改変しつつあった堀川の変化が止まる。
「俺を……壊す事であんたが救われるなら……喜んで壊されてやる……」
喉からせり上がってくる血液を吐き出しながらも、山姥切は自らを貫く腕を放さない。
「だが……今泣いているのなら……きっと後悔しか……残らないんじゃないのか?」
後ろを一切振り向かずに、彼は今の堀川の様子を言い当てる。そう、堀川は泣いていた。和泉守もそれを知っていたからこそ、頼んだ、と言ったのだ。
「え……」
山姥切の言葉に、堀川は腕の力を抜いてしまう。抜けたことを刃を握りしめていた彼は察知したのだろう。手を離し、そのまま地面に倒れ込む。倒れた事で刃が身体から抜けていく。身体に穴が空くが大した問題ではないだろう。
「あ……なん、え……」
引き抜いた後、堀川は徐々にその姿を元に戻していく。赤く輝いていた眼は赤い光を収束させ元の青い眼へ、身体に生え始めていた蜘蛛のような足も身体の中に戻って行く。
戻って行くのは身体だけではない。堀川の意識も徐々に理性を取り戻す。
取り戻しながら、彼は青ざめていく。
目下には血液の水たまりを広げながら倒れている山姥切国広の姿。自分が何をしてしまったのか記憶にしっかりと刻まれている。
自分が、苛立ちと激情のままに……八つ当たり半分に彼をこの腕で貫いたのだ。
節足動物の足のように変質していた腕は今は元の人の腕に戻っている。だがその手には赤い血がべっとりと貼り付いたままだった。
闇の中では黒くも見えるが、夜目の利く人とは違う刀剣男士である堀川国広はそれが赤い色だとしっかり識別している。
赤い、赤い、血液。
鼻をつく、人の血液よりもずっと強い金属の臭い。
「僕、なん、で……なんっ……あ、あ、あ、あ、あ」
恐ろしい事をしてしまった。その自覚が、困惑が彼を襲う。
「……きょう……だい……」
薄れそうな意識の中、しかしギリギリの所で踏ん張りながら山姥切国広は無事に人の形に戻って行く堀川を見上げていた。ああ、大丈夫だ、と思いながら。
と、その時だった。
堀川がその場にぱったり倒れ込んだのは。錯乱してのことではないとすぐに分かった。何故なら、堀川の後ろには人型の何かが立っており、その何かが刀の鞘で堀川の首を思い切り叩いて気絶させたのを見てしまったのだから。
倒れる堀川を見て一息吐いたのは、眼鏡をかけた癖の強い黒髪を持つ細い体躯の男だった。
「はぁ……出てくつもりはなかったんですがねぇ……えらい面白いことになってはりましたから、つい出てきてしもうたわ」
喋る事すら面倒臭そうに話す男。彼の姿を薄目で見上げながら山姥切は気付く。
ああ、こいつは知らない、つまり探していたあの刀剣男士、明石国行だと。
「あんたが、山姥切国広か。自分、俺のこと探しとったんやろ?」
赤と黄緑のグラデーションという珍しい色の目を輝かせて、明石はどこか人を小馬鹿にしたような声色で問いかける。
「……ああ」
本心の見えない目をしている、そう山姥切は薄れていく意識の中ぼんやりと思う。
「なんや、見た感じあんた……何か、知ってんのやろ?後で聞かしてもらうさかい、かし、ひとつや」
クツクツと二色の目がぎらりと輝き、ぺろりと明石は唇を舐める。
「ふん……好きにしろ」
全く手間とらせておいてこの態度かと、悪態を吐きながらも堀川を気絶させてくれたことには感謝を抱く彼。彼はそのまま、ふつりと意識を飛ばした。
*
「――――!」
丁寧にしかれた布団の中で、堀川国広は目を覚ます。微睡みの中徐々に覚醒していく訳ではなく、急にシーンがページを捲る様に切り替わったかのようだった。
血溜まりの山姥切国広を見下ろす情景が途切れた後、気がつけば眠っていたのだろうか。仰向けに横たわる身体に掛かる布団が暖かい。
見開かれる青の両目。目が映すのは見知った部屋の天井と、正座をしたまま微動だにしない山姥切国広の姿だった。最後に見た姿が全く無かったことのように腹を貫いていた傷はなく、何事も無いように彼はじっと堀川を見つめていた。珍しく、布はマント上に羽織っている程度で、頭巾のように頭部を覆ってはいなかった。金色の髪がキラキラと障子越しの光に輝いている。
「あ……」
見つめられていたと言うことは目が醒め、目で山姥切の姿を捕らえたことも気付かれてしまっていたということで。目が合って、堀川は思わず身体を起こす。いきなり起こしたせいか、目眩に身体がふらついてしまう。
ふらつきそのまま布団に倒れそうになった堀川を気遣ってか、思わず山姥切は手を伸ばすも、堀川は倒れることなく踏みとどまったため宙に浮いた状態になってしまう。浮いた手はそっと、太ももの上へと戻って行く。
「目が醒めたようだな」
静かに、いつもの様に淡々と彼は告げるも。その表情はどこか安堵を浮かべていた。布を被っていないせいなのだろうか、感情が見える事が随分と珍しいことのように堀川には思える。
「……うん……僕、どれ位寝て……」
いたのだろうか、そう問いかけようとしたが、山姥切の無事な姿を見てじわじわと罪悪感が心臓を締め付けてくる。
夢であって欲しかったかもしれない。しかし、間違いなく己の腕が彼を貫いた。あの血の臭いは、肉を抉る感覚は忘れられない。現実であったと身体が覚えている。
碧い目を見ていた堀川は顔を伏せ、布団の上に目線を移す。
「って、そうじゃないよね……僕、君を……この手で……」
布団の上に置いた右腕を睨む少年。忘れない、この手に貼り付いた赤とそして肉の破片は。
「気にするな、俺はただの重傷だっただけだ。今は、兄弟が目を覚ましてくれただけで問題ない」
気に病む堀川とは対照的に、山姥切は全く気にした様子もなかった。当たり前だと言わんばかりに。
「ただの……重傷?」
重傷とは、刀剣男士が破壊され折れる寸前の状態のことを指す。それを、ただの、と山姥切は口にしていた。
「何それ!ただのって!折れる寸前まで僕は刺しちゃったんだよ?!君が壊れる寸前だったんだよ?!なんでそんなに自分が壊れても問題ない言い方するの!」
もっと自分を大事にしろってレベルじゃない。布団を叩いて堀川は噛みつきでもしそうなほどの剣幕で山姥切を睨み付ける。
「俺のような写しなど折れてしまってもなんの問題もないだろう」
普段穏やかな堀川が見せる怒気に、驚きもしない山姥切は当たり前だと言わんばかりの口調で答える。彼にとっては本当に問題も何もないのだろう。
「問題大ありだよ!僕達折れたら終わっちゃうんだよ?!」
堀川からすれば、壊れていい物などあるはず無かった。終わることは男士としての死を意味する。人間と同じだ。
「だから、別に構わないだろう?」
しかし、山姥切は聞いちゃいない。写しならば替えはいくらでもあるとでも言いたいのだろうか。ギリ、と歯の奧を噛みながら堀川は苛立ちを露にする。
「写しとかそんなのどうでもいいの、君は君でしょう?なんだってそんなに自分の事を大事にしないのさ!君が大事にしないなら僕が勝手に護っちゃうよ!」
この本丸に刀剣男士として顕現し、仲間として共に戦っている上では人間が勝手に決めた写しや、偽物、贋作、真作、刀剣自体の評価などは関係が無かった。人間に貼られた勝手なレッテルなど心を持っている神になんの意味があるだろう。後半おかしな事を言っている自覚を持ちつつも、怒鳴る堀川。
「あまり自分に負担になる様なことはするなよ」
別にこの身体がどうなろうと構わないのに、と山姥切は頑なに譲らない。
「僕がどうとかじゃなくって、君の事を心配して言ってるんだよ!いい加減にしてよね!って、あっあ……あああああっもう、ご、ごめ、ああもう、怒らないようにしたかったのに……」
ふと、途中で我に返る堀川。随分と熱くなってしまったと頬を染めて顔を伏せる。冷静でいたいと言いつつも実は考えるよりも先に行動したほうがいいと考える癖のある彼。結局は激情に任せがちだと一人反省する。好き勝手言い過ぎただろうか、なんて。
「ごめんね……人の悩みなんて人それぞれなのに、どうでもいい、なんて……」
元々理解はしていた。だからこそ堀川は特に気にしていないと、己の出自よりも大事なのは何をしたかと、長曾根の言葉を真似ていたのだが。
「別に、構わないさ。それに今のように遠慮なしに言ってくれた方が俺には合っている。だから多少刺されたくらいで俺は兄弟を責めたりはしないさ」
俺の態度が悪かったのだと、いつもの卑屈さを付け足しながら山姥切は言う。けれどその表情は優しく微笑んでいて。無愛想な表情だと分かりにくかったが、本当に綺麗だと堀川は思った。
「……なにそれ、僕が言ってた事聞いてた?」
苦笑する堀川。自分を大事にしろと言ったのに、そのくらい問題ないとか。怪我をしても手入れで治るからいいとかそんな話ではないのに。そのあたりは今後説得するしかないのだろうか。
そんな堀川の言葉に、山姥切は笑みを零しながら答える。
「それに、少し喧嘩をするくらいが兄弟らしい……だろう?兄弟」
怒りにかまけて突き刺すのが果たして喧嘩で済むのかどうかは謎だが。確かに一理あると言える。無理矢理なこじつけだが、何となく言わんとすることはくみ取り、黒髪に青い目の少年は仕方が無いなとため息を吐いた。
吐いた後、見たこともないくらい穏やかな表情の山姥切に微笑みかける。
「……兄弟って、呼んでくれるんだね」
思えばほぼ最初から、呼んでくれていたが。あの時は受け入れられなかった、兄弟と言う概念。
「当たり前だ。今の俺達にあるのは真偽ではない。物語を持って顕現出来ているかどうかだ。今ここに兄弟がいるのなら、それだけで……国広の名を持つ俺達は兄弟だ」
ハッキリと、しっかりと、淀みなく綴られる迷いも惑いもない言葉。
彼の言葉はいつだって汚れのない本心だ、そう気付いた堀川は静かに頷いた。
「ありがとう、兄弟」
兄弟と紡いだ堀川に、少しだけ目を見開いた山姥切は穏やかにまるで堀川国広のように微笑んだ。
その笑みに、堀川の中に生まれた罪悪がまた芽を出す。
「ねえ、僕は……やっぱり兄弟の事を刺したんだよね?この腕で」
身体が覚えている記憶。夢ではないと考えているが念のため当事者にも確認をしてみたかった。
「ああ」
山姥切は肯定する。
「僕の腕、遡行軍の兵士みたいになってた……なんで……」
脇差型のそれによく似ていたと、堀川は記憶している。その鋼の腕で突き刺した、と。忘れられるわけがない、あの仲間の肉を貫く感覚を。
己の腕を見つめながら、堀川は呟く。
どうして、あんな事がこの身体に起こってしまったのだろうか。今までそんな姿に変貌したと聞かされていない堀川は自分の身体がふと恐ろしいもののように思えてくる。
そんな堀川の思考を知ってか知らずか、山姥切は淀みない言葉で答えた。
「それは仕方が無いことだ。兄弟も連戦で疲れが溜まっていたのだろう。疲れに加えて奴らとの接触が増えれば自ずと戻りやすくなってしまうのが通りだ」
戻る。
彼はそう言った。
確かに。
「……兄弟は、何を知っているの?」
山姥切に視線を向け、碧い目を見つめる堀川。主からもそんな話は一言も聞かされていなかった。近侍だから、知っているのだろうか?自分達の仕組みについて。
「あっ……今の……は聞かなかったことにしてくれ」
堀川の指摘に、山姥切は自分の失言に気づき思わず口元を片手で覆う。目は、逸らされる。態度は随分と正直だ。言ってはいけないこと、らしい。悟った堀川は首を数回横に振ると分かったと頷く。
「今は言えないって事、だよね。言えない事だって、言いたくないことだって……兄弟だからって全部打ち明けられる訳じゃ、ないものね」
人間だって、そうだ。人のまねごとをしている自分達もきっと同じだと心を持つ以上は同じだと堀川は微笑む。
「すまない……」
彼の優しさに、山姥切は眉を潜めて、俯いた。
それから少しの沈黙の後、山姥切は何か思い出したように立ち上がる。
「それじゃあ、俺はそろそろカネサンに兄弟が目を覚ましたと伝えてくる。酷く心配していたからな」
堀川の変貌をあの刀剣男士は見ていた。心配するなというほうが酷だろう。彼は堀川の、兄弟の相棒だ。なんだかんだ世話を焼かれながらもいつだって気にかけている。どう状況を説明しようか、障子を開ける山姥切はそんな事を頭の端で考える。
「うん、お願いするね」
出て行く山姥切にそうお願いする堀川は、彼が出て行ったのを確認すると息をついて布団の中へ潜り込む。潜り込んで誰にも見せないように己の身体を抱きしめながら。
障子を開け、そして閉じると、山姥切国広は視界の端に映る彼の姿に驚く。
「っ!兄弟、いつから」
廊下で座禅を組む彼は山伏国広。彼の兄である名前の通り山伏の格好をした筋肉隆々の男は驚かれた声に気付き、山姥切を見上げた。紅い目が随分と戦化粧が印象的な男だ。格好に誤魔化されるが彼も国広の名にふさわしく綺麗な顔立ちをしている。
「うむ、兄弟が目を覚ます前から、拙僧はここにいた。気付かぬとはまだまだ修行が足りぬぞ、兄弟」
気配を少し隠してはいたがな、なんてカカカと彼は快活に笑う。しかし、背面の部屋にいる堀川を気遣ってか声量はいつもより控えめだ。
「聞いていたのか」
目を覚ます前、というのであればつまり一部始終を聞かれていたことになる。失言も含め。苦い表情を浮かべる山姥切に、山伏は深く頷く。
「うむ。だが兄弟、拙僧も、お主を信じている。今語れぬのはのっぴきならぬ事情があるのだろう」
だから、細かいことはまだ問わない。聞かなかったことにすると彼は言いたいのだろう。
ズキリ、と山姥切は己の胸に痛みを覚える。
「買いかぶるな。俺は……」
苦々しく言いよどみながら、山姥切はこれ以上何も言わずに頭に布を被せて去っていくのだった。
××××
カラン、カラン。
落ちる刀が地面とぶつかり音を立てる。その刃には強い金属の臭いを持つ血液がこびり付いていた。血しぶきが地面に落ちていく。
「はぁ……はぁ……っ」
荒く息をする金色の髪をした青年。
その目の前には倒れて血溜まりを広げていく【彼】の姿。
「あ……はは……ああ……はは……」
力なく、金色の髪に真っ赤な瞳をした青年は笑う。
殺してしまった、ああ壊してしまった。
どこか自分をあざ笑うように笑う彼は、そのまま崩れ落ち地面に座り込んでしまう。
赤い、赤い色。
赤い、赤い目から零れるのは涙。
鼻をつく金属の臭いが、どんどん錆付いた物へと変わっていくのを感じる。
滲む涙をそのままに、クツクツと彼は笑い続ける。
いや、泣き続ける。
そんな彼に、とある女性にも男性にも聞える声が問いかける。声は、背面から聞えた。
「君が、山姥切国広か……ようやく見つけたよ」
その問いかけに、山姥切国広は答えない。
「壊れる前の君を見つけるのは大変だったよ。まさかこの時間軸にしか存在しないなんてね」
声の主は、泣きながら笑う彼の背中に話し続ける。山姥切国広は答えない。こうしている間にも彼の心は壊れていくようだった。
「このまま……壊れてしまうのが君の本望なのかも知れないけれど、私達は手段を選べない。理不尽だが、同胞殺しの罪を利用させてもらうよ」
同胞殺し。この単語に山姥切国広は反応を示し、笑い声を止めて振り返る。
ゆっくりと、ゆっくりと。まるで死体が動くように。
彼の真っ赤な目を見ながら、性別不明の声の主は淡々と続ける。
「君は、今、ここで、本作長義を破壊した。後の時間軸では君は使い物にならなくなってしまうが、しかし同胞殺しというイレギュラーを起こした君は、我々にとって重要な手がかりとなる」
山姥切国広に映るその者は、顔の前を布が覆っており男か女かも分からない状態だった。そもそも人間なのかどうかすらも怪しい。
ゆらりと、見上げ瞳孔を広げながら山姥切は問いかける。
「あんた、何者だ」
俺はお前を知らない。
彼の言葉に、その者は機械的に返答する。
「私は、審神者なるもの。山姥切国広、貴方を回収します」
そう言って、審神者なるものは山姥切の方へと手をかざす。すると怪訝そうに眉を潜めた彼の姿は一瞬にして本来の刀剣の姿に戻ってしまうのだった。
人であれば、俺は……たった一人の俺であれただろうか。
そうであれば、本科を殺さずに――――。
全ての始まりの物語。改造された五振りの魂。振るわれるまま彼らは次元を超える旅に向かう。
初期刀編2、陸奥守吉行が抱えている話。