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さようならも悪くない

 満月の光が穏やかに波立水面を照らす。きらきらと反射する海のおかげで深夜にもかかわらず海辺は明るく歩くのに不自由しない状態。
 深く分厚い水同士がぶつかり合う音を何となしに聞きながら、山姥切長義は波打ち際を散策していた。
「・・・霧散した魂の再構築、か・・・」
 ザン、ザンと波が打ち付ける海は、島全体は、政府が構築した疑似空間の箱庭だった。箱庭の中に閉じ込められたのは霧散したものを薄い濃度で集めた魂。模擬線のような形式の中で集められ、高濃度に凝縮される魂は、新たな刀剣男士のもの。霧散してしまった魂をつなぎ合わせるためには同じ刀剣男士の戦うという意思が必要だったのだ。
 研究が進み、ただ魂を集めるよりも該当する魂の気質に合わせたほうが、集まりやすいと政府は一つの結論を得た。
そのため今回は琉球の刀のための海と、そして戦うだけよりも遊びも含まれた方が効率が良いと判断され、まさかの水鉄砲戦も繰り広げられることになったのだった。
 遊びながらの模擬戦。なんだかんだ皆乗り気であり、そして戦いの合間に海で遊ぶこともできたため、ひと月近い任務期間は人の子がするような夏休みのようだった。
 その中で、山姥切長義は浮いていた。遊ぶ気にもなれず休む気にもなれず。模擬戦以外の時間は一人で過ごすか眠っていることがほとんどだった。
 そして昼間寝すぎた今日、眠る気になれなかった彼は深夜の海をなんとなしに散歩することにしたのだ。
 別段綺麗だとかそういった感情は特には湧き上がってこないが、騒がしくない空気は嫌いではなかった。
 落ち着く、とはこのことだろう。
「・・・」
 静かに、普段のジャージと同じ柄のハーフパンツと青いTシャツといった軽装の彼は、慣れないビーチサンダルで砂浜を踏みしめて歩いていく。
 しばらく歩いていると彼は自分の向かっていた先に、誰かがいることに、いや、誰かが向こう側からこちらに向かってきていることに気が付いた。
 白い薄手のパーカーが印象的な恰好をした金髪の男士。
 彼は長義の姿を見るや否や速度を上げて近づいてくる。関わるのも面倒だと思っていた長義だったが、ここで踵を返せば逃げたかのように映る気がして、ただその場で足を止めるだけだった。
「・・・山姥切!」
 駆け寄ってきたのは山姥切国広。
 向こうの方から寄ってくるのは面白いなと思いつつ長義は一体何事かと眉を寄せた。
「なんだ、偽物くん。そんなに慌てて。・・・主でもいなくなったのか?」
 こいつがそこまで慌てているような様子を見せるのは審神者のことくらいだろうと、面倒でもあるのかと彼は腕を組む。主がいないのならば一大事だろう。
「写しは、偽物ではない・・・あと、何故ここで主の名前が出るんだ」
 主に何か起きたらもっと機動の高い連中が全員を見つけ出すだろうと国広は付け足す。
「そう・・・なら、一体誰の言付けかな?」
 政府関連で呼ばれるとすれば肥前当たりだろうか。他に目の前の男士が息を切らせて駆け寄ってきた理由が分からず、長義は首を傾げた。彼の問いかけに、国広は無表情のまま碧い目を泳がせる。
「それ、は」
 うまく言葉がつながっていないのか息が澱む。だが、それも一瞬のことですぐに彼は口を続けた。
「お前は、海が似合わないな。と」
「は?」
 まっすぐに曇りない眼で言い放たれたのは行動と全く紐づかない感想だった。何があって慌てて自分に駆け寄ってきたのか、の理由にはならない。どうやってもなるわけがない。
 何言っているんだこいつはという感情を全く隠さない長義は眉根を寄せて苛立ちを露にする。
「なんだ藪から棒に?嫌味にしても全く意味が通らないのではないかな?」
 正直意味不明だ。
「いや、そう・・・思ってしまって・・・」
 長義の返しに、国広は言葉を澱ませる。どうやら嫌味でもなんでもなく、ただ本当にそれが行動理由の原点だったらしい。原点にしても分からないのだが。
「・・・もう少し考えて人にものを言ったら・・・いや、言葉の意味を理解して口を開け」
 どう理解されるか理解して話せと注意したほういいかもしれないが、教えてやるのも癪だった。長義の指摘に国広はたどたどしく理由をちゃんと話していく。今度は、伝わるように、と。
「連れていかれるのではないか、と思ってしまってな」
「・・・何に」
 突き放してもいいのだが、正直ここまでくると理由は気になる。仕方なしにため息をつきながら、長義は聞き取るように会話を誘導していく。
「海に、だ。海は俺たちの中にはないものだ。だが、俺達は似た色を持っているだろう?」
「お前が何を言いたいのかさっぱり分からないな?どこの言語を話しているのかな?」
 政府に開発でも申請しようか、と長義は嘲る。偉そうに話す割には要領を得ないのは、いつまでたっても変わらないらしい。自分たちが出会って一体どれだけの時間がたったと思っているのか。
「昼間・・・お前の姿が・・・海と・・・光に溶けて見えなくなった瞬間があったんだ」
 長義の嫌味は気にせずに、国広は伝えたいと言葉を続ける。ひるまないのは強いというべきか。
「・・・ああ、そういう」
 そこまで聞き取って、長義はようやく話を理解した。
 海に溶けて見えなくなった自分の姿に、このままこの海で、行方不明になってしまうのではと思ってしまった、そういうところだろう。
「はぁ・・・お前は随分と自分に都合のいい妄想が得意なんだね。恐れ入ったよ。認識を改めようとする俺が邪魔というわけか」
 どうして見えなくなったというだけで、海に持っていかれてしまうなんて思うのか。答えなど、分かっている。分かって、悟って、長義は心の奥に針を突かれるような気持ちを抱いた。
「っ違う・・・!」
「どうだか。思いつくのなら望んでいる証だろう」
 いなくなって欲しいと思うのだから、いなくなってしまうと考えてしまうのだろう、と。
「まぁ、お前が望もうが関係ない。色に溶けて見えなくなろうが俺がそこにいることに変わりはない。姿形が存在していなくとも、山姥切長義という概念は確かに存在している、俺こそが本歌山姥切。それだけだ」
「・・・」
 長義の宣言に、しばらく前に会話したときと何ら変わりのない現状に、国広は何を言い返すこともできなかった。
「何度も言わせないで欲しいかな、偽物く―ーー」
 そんな時、言葉尻は突然襲い掛かった大きな波に打ち消されてしまう。穏やかだった波が急に暴れて長義を飲むこむほどの高さまで上がってしまっていたのだ。
 バシャン、と体を打ち付ける波は、長義を飲むこむ勢いだったが彼は足を踏ん張り耐える。耐えたため、濡れるだけで済んだが、濡れ方は海の中に入ったのと変わらないほど全身水浸しだった。
「・・・はぁ・・・海に好かれてもな・・・俺じゃないだろ・・・」
 髪の毛まですっかり濡れてしまった彼は、今開いている方の手で髪をかき上げ目に水が入らないよう額を晒す。もう片方は先ほど埋まってしまっていた。波が襲い掛かってきて、引いた瞬間引き留めるように国広が手首をつかんでいたのだった。
「腕、痛いんだけど?筋肉の声が聞こえるならちゃんと話してやってくれ」
 掴まれた手首を握る力は強く、白い肌が赤くなってしまいそうなほどだった。痛みは人よりも鈍いため長義はわずかに眉を寄せる程度で済んでいるが、他の男士であれば痛いとすぐに叫んでいただろう。
「・・・っ」
 離せと遠回しに言われてる国広の手は震えていた。
水を長義と同じように頭から被って髪も水びだしになっているのに、目に入るのもお構いなしに彼はまっすぐ、何かに怯えるように長義を見つめていた。
表情はいつも通り無に近いが揺れる瞳と余裕のない様子に、長義は口角を吊り上げる。それは歪だが、確かに美しく笑う表情だった。
「なるほど・・・海も、悪くはないかな」